↑ 1998年松野主税氏が立川駐屯地で撮影されたUH-1Jの初号機/41801。
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↑ 日を変えて撮影したUH-1Jからの機関銃射撃展示一連の様子。実施の時間帯によって逆光気味になる。UH-1の武装化はB型時代から研究がすすめられたが、防弾版の追加等で重くなったJ型も、エンジンパワーの問題からかロケット弾ポッドの装備は諦め、地雷散布を除けば12.7㎜機関銃が最大の武器であった。
↑ 山肌を沿いながら前線と想定された地点に人員展開を行うUH-1Jと後方のUH-1H。
↑ 同じく1998年松野主税氏が立川駐屯地で撮影されたUH-1J/34号機/41834。
UH-1Jは、133機導入されたUH-1Hの後継機として、1990年度(平成二年)に防衛庁が機種選定をして、富士ベル205Bをベースに米軍のUH-1Nをモデルとした改造を行う事に決めたものだ。1993年(平成5年9月に初号機が明野の航空学校に配備され翌年1994年4月に当時の防衛庁長官から正式な使用許可が下り、本格的運用が開始されている。陸自では元々UH-60JAを多用途ヘリの主力にしたかったが、UH-60ブラックホークは非常に高額なため、限られた予算では数が揃わないと心配した。そこでハイローミックスの考えを導入してより安価なUH-1Jを並行して購入することとしたものである。UH-60JAを重多用途ヘリ、UH-1Jを軽多用途ヘリとして位置付け、各方面航空ヘリコプター隊に組み合わせて20機ずつ配備する計画を立てた。そして師団飛行隊には5機を配備すると考えていたが、その計画通り進めば所要はUH-1Jだけで200機は必要となるはずだった。しかし冷戦終了後の世界情勢は軍縮に向かい、防衛予算への風当たりも強くなって、最終的には130機しか購入できなかった。何と19年間で年平均7機しか予算化できなかったのであった。(2025年8月 記)
↑ 何故かネガカラーフィルムで撮影していたUH-1JからのM1機関銃射撃展示。この展示では実弾を使っていない。
↑ 1998年9月に開催された東富士演習場での総合火力演習の模様。UH-1H型とUH-1J型が両方活動し、しかも当時最新のUH-60Jが出展された展示演習であった。
↑ 1996年木更津駐屯地に展示された明野航空学校所属のUH-1J/41812 12号機。恐らく私が初めて目にしたUH-1Jだと記憶している。
↑ 1996年11月浜松基地の航空祭に展示された東部方面ヘリコプター隊のUH-1J/411841。1993年9月に明野に初号機が入ってから後、3年間で40機以上が納入されていた証であり、配備当初はペースが速かったのである。この機体、この後北部方面ヘリコプター隊に移動し、2025年霞ヶ浦補給処の格納庫で用廃姿を見る事となった。
当HPでは、掲載写真はできるだけ配備/運用の歴史にも沿えるよう、撮影年月日の古い順にしています。従って、古い写真が出てきましたら掲載順の入替をします。
↑ 1997年木更津駐屯地の創立記念日に展示されたUH-1Jの2号機/41802。1996年に引き続き遠距離を明野駐屯地から飛来した。